機材遍歴
(きりがない話)8ミリシネ
”プロレス天皇vsザ・サング”
自主制作映画を始めた15年ほど前、撮影は8ミリシネカメラで行われていた、カメラは友人から借りた物を使用していた。
フィルムは1ロール3分で1200円、現像に600円位かかったと思う(?)、ただ当時すでに8ミリは廃れてきており、近所のカメラ店でも期限切れを間近に控えたフィルムを大量在庫している事が多かった。
自分は概ね顔見知りカメラ屋である前後駅前の太陽堂にて期限切れフィルムを安く分けて貰っていた、また、父の仕事関係で当たって貰い、フィルムは結構ただで手に入いった。
編集時フィルムを繋ぐのにスプラインテープと言う専用のテープを使うが、始めた頃テープに回すお金がないため、もっぱらセロテープを使用していた、これが数年後災いして劣化したテープが次々はがれ復旧出来なくなったフィルムが続出した。
やはり専用の物を使った方が良いらしい。
その後父よりスプライサーを貰う、ビュワーの付いていない簡単なものだったがセロテープつなぎに比べれば格段の進歩、正に科学の勝利であった。
”プロレス天皇vs地獄の使者”
高校時代、自主制作映画を志す尾関氏、本下氏と出会い劣悪な映画を量産する。この頃とったのが「くまくま・シリーズ」等の安直且つ劣悪な8mmだ。
高校を卒業し千葉に移ったときも、カメラ店をまわり期限切れフィルムとスプラインテープを探してまわった。そのころのビデオカメラはセパレートの物が主流で、一体型といえばベータムービーが数機種あったが、とりあえず予算の関係でVHSのポータブルを買い、撮影の際はレンタル屋でカメラを借りた、当時、ビデオレンタル屋が非合法に出来始めた頃で海賊版のダビング、LDからのダビングなど、オリジナルを1本も置かないで商売している店も珍しくはなかった。今では考えられないけれどもビデオデッキの普及率もそれほど高くなかったのでレンタル・ビデオデッキやカメラを結構安く貸し出している店も多かった。ビデオカメラで、だいたい1日2000円程だったと思う。
(当時、我孫子と牛久にある総合病院で夜間受け付けのバイトをしていた、16時〜朝8時拘束で5000円というひどく安い給料だった)現在はそれほど拘らなくなってしまったが、フィルムの色、動きへのこだわりからビデオで映画を撮るというのは少し抵抗があった、当時のビデオカメラ(単管式)は解像度では互角だが色はなぜか妙に黄緑がかった不気味な色合いだった。それよりも大問題だったのは編集精度が劣悪だったことだ、1秒2秒の誤差は当たり前、つなぎ目にはことごとくレインボーノイズが現れた。
繋ぎたいコマを繋ぐことが出来ないというのはやはり大問題だった、特にアクションシーンでの切れは1コマの抜き差しが勝負になる。
しかし利点として当然の事ながら音の同期がとれる。(所有していた映写機は音が出なかったので上映会の際、オーディオテープに記録された音声を合わせるのは至難の業だった)コンピュータ(MSX)のビデオ出力でタイトルが入れられる、何より1分のランニングコストが500円を越えるフィルムに比べればビデオテープなどは幾ら回してもただ同然なのは魅力的だった。
しかし学生時代はビデオカメラを買う余裕が無く、撮影はレンタルでビデオカメラを借りる必要があった為、撮影された映画は「プロレス天皇vs地獄の使者」の一本だけだった。
しかし、長時間撮影できると言うことはドキュメントを撮るには最適だった、1985年に製作された尾関氏製作のゾンビ映画「フォレストデッド」では記録撮影を行った。
このとき、現実に進行している事柄を自分の時間で切り取り再構築するドキュメンタリーの撮影に非常に興味を持った、今で言うならただのホームビデオだが、ビデオの登場により身近となったジャンルでもある。
その後、ことあるごとにビデオカメラを借り、ビデオ撮影するようになった。
初めてビデオカメラを購入したのは会社入社後1年がたった後だった、当時、ソニーのVideo8一号機V−8シリーズに変わりVideo8 Proシリーズが登場した、
CCD-V100だ。
サチコン管に比べ自然な色、ぴっちりと締まった映像、マクロ付き6倍ズーム(汎用の8mシネカメラはせいぜい2-3倍だった)、優れたホールディング、また、当時としては実にかっこいいデザインで持ちたくなるカメラだった。
このv−100を持って初めて海外旅行に行った。
アホな話だが、「このでかくて重いV-100を持って、ホントに砂漠を歩けるのだろうか?」などと真剣に心配した末、「機材を背負って歩く練習」をするため高尾山に登ったりした。
今は、国内は勿論、海外にも業務用カメラと三脚を持っていきます。エジプト、ギリシャ、イタリアを周り8時間ほど撮影した。
そして、編集はソニーのベータデッキSLHF-3000にてB1S編集をした。
テロップ挿入にはソニーのMSXパソコンHB−900を使用した。このときのソニーはホントにすごい製品を作っていたと思う。SLHF-3000の編集機能、操作性などは未だ十二分な完成度を持っているのでは無かろうか?このときはまさかホントにベータが無くなるなどとは思いも寄らなかった。(もっともテープは未だ入手出来るので「無くなった」という表現は間違いかな?)MSXパソコンHB−900も当時としては実に画期的で近年ビクターのJXT-1000を購入するまではずっと現役だった。CCD-V100後ハンディカムv−90が登場した、27万画素のV-100に比べ42万画素を誇るv-90、購入した友人のV-90とv-100を並べて比べてみた、違いすぎる!大きさはこんなに違うのに、値段も安いのに!しかしショルダータイプにはこだわりがあったのでショルダータイプで42万画素が出るのを待った、そのころHI-8なるフォーマットが開発されるらしいとの噂があった、次はHI-8で42万画素でショルダータイプを出すに違いない、が次に発売になったのはノーマル8で42万画素の
CCD-V200だった。
SONY CCD V-200
HI-8ではなかったもののV-100に比べいかにも重厚で重装備のデザインには一発でほれこんでしまった。
すぐさまV-100を手放しV-200を購入した。V-200の絵作りはじつに素晴らしかった、音もPCMステレオが使用でき、再生デッキとしての操作性も良かった。
V-200を持ってモロッコ、スペイン、トルコを回った。
この頃デッキはED-BETAのEDV-9000になっていた。
このデッキはDVCAMのDSR-30を購入するまで現役の座を守った。
そして翌々年やっとHI-8のショルダータイプ
CCDV-5000が出た。デザインは良かったものの なぜかカメラ部の性能は今一つでV-200には及ばなかった、デッキ部の性能が上がり今まで気づかなかったカメラ部、レンズ部の質の悪さが浮きだったのかもしれない。とにかく、この頃から民生用機の画質傾向が気になってきた、一度、友人のブライダルカメラマン川崎氏がソニーの業務用カメラDXC-3000を持って遊びに来て、当時住んでいた江戸川区臨海公園周りを撮影してみた。
デッキは松下のVHSポータブルだった。VHSに録画されてもやはりその差は歴然だった、V-5000で気になっていたレンズの歪みボケ、暗部のノイズなど殆ど気にならなかった。
もう民生機は限界だと感じた。丁度そのころ業務用カメラDXC−325にドッカブル可能なHI-8デッキEVV-9000が発表となった。総額120万円、金額について考えはしたもののベビーベータカムと呼ばれたDXC-325はあまりにもかっこよすぎた、それまで憧れていたED-CAMなどプラスチック製の安っぽい玩具に見えてきた程である。しかしだ、高いといえ車を買ったと思えば安いんじゃないか?維持費もかからないし、今後もPROシリーズを買い換えて行くのは十分考えられる、ならばと考え、銀行で金を借りることにした、5年ローン60回払い、払い終わるとき自分は29歳だ、5年後もこのカメラを使っているのだろうか?等々考えた。
EVV-9000とDXC-325のセットは爆発的に売れたらしい、まずキャノンのレンズPH-15が届いた、次にED-CAM用のアクセサリーキットが届いた。しかしカメラ部はなかなかやってこなかった、噂によればビューファインダーの生産が追いつかないとか?結局注文してから5カ月ほどたってすべてのパーツがそろった、組み立てて撮影してみる。やはり違う次元が違う!大満足であった。この年、撮影で知り合った今の奥さんと結婚する。披露宴は川崎氏にDXC-325を貸し撮影して貰った(編集は自分でやった)。新婚旅行は再びエジプトとギリシャへ行った。勿論DXC-325と共に!
それから約5年、DXC-325以降327、537等現れたが特に惹かれる物もなく325を使い続けた。
テロッパーは民生機では相変わらずろくな物が無くMSXを使用していた、グラフィックにサイズの制約のないテロップを混在して使用できるのはコンピュータならではだった、特に旅行のビデオで地図を入れることが多かったため他のテロッパー専用機では無理だった、アンチエリアスはかからないものの、縁取りの配色によってはそこそこ面白いテロップが作成できた。
エフェクターはパナソニックのVW-VE300を購入、あこがれのオーバーラップが出来るようになる。
このエフェクターは値段の割にいろいろ使える、操作部が本体から離れていることもレイアウト上都合がよかった。
この頃友人の一柳氏が所有していたコンピューター、コモドール社のAmiga と出会う、当時としては(現在でも十分?)画期的なコンピュータだった、まずビデオへの出力が前提で考えられている事、とにかくガキガキグラフィックをアニメーションさせられる事、そして殆どOSの知識が無くても扱える優れた操作性、なぜか繋げば使える拡張性。
我慢とど根性がないと使えないのがコンピュータの常識だと思っていたのだが、世の中にはらくしてお手軽な世界もたまにはあるのだなと思った(もちろんフリーズしてしまうこともよくあったが)。
Amiga A-2500が発売になったとき”Amigaの師匠”一柳氏が買い換えると言うので
AMIGA A-2000(HD無し)を売って貰う。モニターは奥さんが所有していたシャープのX6800と共有出来たので安上がりでもあった。わずか1Mのメモリー、ハードディスク無しと言う現在では考えられないような環境でもずいぶん遊ぶことが出来た。1年後ビデオトースター購入を見越しハードディスク内蔵の
AMIGA A-2000HDを購入、当時、最高速だった040(33Mhz)のボードを入れる。そしてビデオトースター、パーソナルアニメーションレコーダーとAmiga にはずいぶんつっこんでしまった、しかしその成果物たるや他のコンピュータとは比較にならない程敵無しであった!ともかくAmiga はメチャメチャすごいマシンだった!。
Amiga の環境が当たり前だったので、初めてMacintoshを見たときはクイックタイムの品質の悪さとアプリケーション、周辺機器の高さには驚いてしまった。
Amiga をメインで使っていた頃、世界で最も優れたコンピューターと言えば何と言ってもAmiga だった。MS-DOSなど36億年前に滅びていて当然なような代物だし、Windowsなど40万8千光年ぐらい問題外・・以前にまだ無かった。
当時Macintoshの印象と言えば「全く興味なかった」ので見たこともなかった、唯一「コモエスタアミーガ2(ドス)」誌VIVA Macintoshにて比較記事を読む、ワークベンチからして(デスクトップからして?)AMIGAにそっくりなのが気に入らない!?ある日、友人の会社でMacintoshをさわる機会があった、成る程、フルカラー画像が扱えるのはまあ、ゆずるとして、日本語が使えるのはまあ、日本語のOSなんだからゆずるとして、マウスの右クリックが無いのはマズイ!デラックスペイントなみの優れたペイントソフトがないのはマズイ!やはりアニメーションをガキガキ作れないのは致命的!3Dソフトにしても見た目、親切なのは良いとして、スピードが遅すぎる!次の作業に移る前にAmigaを20回ぐらい再起動させられるほど遅かった。
(実際問題、起動時間一つとってもAmigaの100倍くらいかかるんじゃないか?!)こんなに見てくれに拘る代償として生産性を落とすのはズバリ!基本的に道具として存在価値ないんじゃないの??と、密かにむりやり勝ち誇っては見たものの・・・ものの・・・ものの・・・(日本語フォントが現実的に使えない事や、現実的に64色でしか絵が描けないほうが致命的かも???と、後に、ちょぴり思ったりもした・・・)。ともあれ、わけあってPowerMacintosh7100/66AVを購入した。
操作に慣れてくると、成る程、快適である、もともとコンピューターの中身には興味がないのでコマンドによる操作が皆無なのは理想的だった(Amigaの場合多少の入力が必要な場合もあったのだな)。
快適ずくしのマシンだったが動画のクオリティーはやはり最低最悪。頂けなかった。
静止画は天下のAdobe Photoshopのおかげで快適であったが3Dのソフトは最低だアニメーションをさせようと思うと全くロクなものがなかった。その内「Macでマッピング素材を作り、Amigaで(LightWave3Dとパーソナルアニメーションレコーダー)動かす」というやり方に移っていった。「静止画はMac動画はAmiga」結局は得意な分野に落ちついたのであった。
ただMacを使い込むにつれ、Amigaをさわる事はめっきり少なくなってしまった、久々にデラペでアニメでも作ろうとすると見事、全てのショートカットを忘れていて、Amigaよりも使う人間がフリーズする場面が続出した!いやはや情けない限りです。
その後、製造元であるコモドールがつぶれたり、CPUの速度やメモリーの搭載量など時代から取り残された感はありますが、アラマント社では未だ編集ラックに奉り毎日手を合わせている次第です。
ありがとうAmiga A-2000!!君のことは忘れない!(でも操作は忘れた)
325のローンが1年を切ったとき、友人の結婚式で池上のカメラと2カメする機会があった、編集の際マスターのVHSを借り、ABロールで繋いだ。
その時、目を疑った。違いすぎるのだ!輝くような白、VHSのくせに実にシャープで自然な質感、なんでこんなに違うの?325の画はぼんやりとして妙に黄色がかっていた。
がっくりであった、そのころ登場したハンディカムTR-1000の画質も驚異だった、条件さえよければ325と互角かもしれない、5年で民生機が追いついてきたのだ。
そんなとき池上のHC-390が発表となる。池上で行われた発表会で見てメチャメチャ欲しくなる。すかさず行き付けのツクモ5号店にて予約を入れてしまった。
カタログを枕元に、眠れぬ夜が続いた!そして半年後、例によって遅れに遅れたが遂に390がやってきた!さわってみると意外と露出がかなりシビアで調整に手間取ったものの、その個性的な画質は結構気に入った。
しかし相変わらずデッキはHI-8のEVV-9000である。せっかくカメラ部が良くなってもやはりHI-8の画になってしまう、DVの発売を目前にしてベータカムにするのも運用を考え得るとアラマント社には贅沢すぎるし、(もっとも予算的に全く現実的ではないが)今更S−VHSでもないか、と言うわけで暫くはがまんすることにする。
余談だが、1985年8月、初めての子供が産まれた。
産まれる様子を390で撮りたかったのだがその産婦人科は撮影禁止だったので立ち会いのみだった。見ていてこれは絶対に記録すべき映像だと思った、実にくやしい!出産シーンは撮れなかったがそれ以降は撮影しても良いとの許可が出たのでダッシュで390を取りに行く、なんとか産湯は撮影できた、看護婦さんには「赤ちゃんはもっとかわいい所を撮るべきだ!」などとブツブツ言われてしまったが、ま、人それぞれである。同年9月、ついにDVフォーマットのVX-1000が発売となる、同じ月に米国出張があったのでこれにかこつけて購入する。
DVの印象は画像の素晴らしい安定性につきる。
カメラ部は期待はずれだったが値段を考えればしょうがないと諦める。
しばらくは390を手放せそうにない。
出張の際、奥さんにはさんざん390を置いて行けと言われたが結局両方持って行ってしまった。
仕事用にVX−1000、遊び用に390である。
このVX-1000は、初めて買ったハンディカムでもある、ハンディカムには偏見を持っていて実は大嫌いなのだ、何が嫌いかというと手首特有のぶれが気になるのだ。
三脚での操作が考慮されていないのだ、安直に撮れる分、安直な画の様な気がして嫌いだった。
ところが使ってみると当たり前だが機動性がよい、機動性と画質を天秤に掛けると、やはり日常は機動性だ、最近ではすっかり軟弱になってしまい、ここぞと言う時以外はVX-1000が主流になってしまった。
かわいそうに390はここ数カ月、会社に置き去りである、人間はわがままなのだ。だって、一生懸命撮ったって所詮はHi8の絵に落ちついちゃうんだから腐るよね〜。
編集デッキの方はEDの画質が気になってきた、録画したカラーバーなどはノイズだらけで酷い物だ、購入して5年以上たつが一度もヘッド交換を行っていなかったので交換すればひょっとして....等と思い試しに交換してみた。
しかし効果は全く!見られなかった。
購読しているビデオサロン誌に高画質デッキはどれ?等という特集で新鋭機に混じり参考としてED-9000が載っていた、さすがはEDだ!と、記事を読むと「さすがの9000も古さを否めない」等とボロクソだった、がっくし。
そうかS−VHSはそんなに進歩したのかと試しにビクターのX-3スピリッツを購入してみた、悪くはないが良くもなかった(機種比較の際見たパナソニックのSW-1000はワンランク上の画質だがなぜか編集機能はお粗末すぎるため諦めた、実に残念)。
編集の操作性はやはり3000や9000には遠く及ばない。
こうなってくるとちゃんとした編集用デッキが欲しくなってくる。とは言え今の所、妥当なフォーマットは見あたらない。
もう一つの方向性としてノンリニアがある、とくにアラマント社では特撮物が大好きなので特撮、合成ができる環境を熱望していた。
1994年の「超人現る」では合成用にAmiga 用のクロマキー合成機器を購入したが初期不良で作動せず、トースターのルミナンスキーで合成を行った、ルミナンスキーでは合成のエッジにノイズのラインが出てしまうため、効果は今一つだった。
「超人現る」
光線などはもう一台のAmiga をつなげてデラックスペイントで書き込んだ、当然実写と合成画面の同期はとれない「8ミリフィルムの様に画像に直接合成や書き込みが出来たら」と思った、実は方法はある、ビデオ画像をMacにさえ取り込む事が出来ればアドビのプレミアでは結構きれいに合成が出来たし、動画をフォトショップ等へ出力してどんな加工も出来る、専用の動画レタッチ用のソフトも1万円台からあった。
問題はどうやって動画を取り込み出力するかだ。
当時(とは言え、ホントについ先日)まで、実用に堪えうる品質の動画圧縮伸張ボードは最低でも100万円程かかった。現実的に数分しか編集できないボードに100万円つっこむなら業務用デッキを買った方がよほど安上がりだ。
ノンリニアに挑戦し落胆する
安価な物もあった、安価と言っても10万円を越える、入力はAV Macintoshのビデオ入力を利用するタイプだ。
Amiga であれば10万円も出せばそこそこの物が買える、雑誌の紹介記事によれば通常のSCSIでも高速のハードディスクを使用すればフルサイズ、フルフレームが可能とある。
行き付けのツクモ5号店では「たぶん使えませんよ、止めた方がいいですよ」と言われたが、現代の科学技術を信じよう、少なくとも「使えない物を売ってる訳無いじゃない!そうでしょ?!」と自分に言い聞かせ購入に踏み切った。
早速インストールしてみる、デモで入っていたサンプルムービーをハードディスクにコピーし再生してみる、安さ一番のハードディスクを使用しているためスピードは期待できないが、そんなに悪くない、JPEG特有の劣化は見られる物の、合成した素材をEDに戻して、VHSで配布した場合の劣化を想定すれば、そこそこの画質(劣化)で収まるような雰囲気だった、CGアニメーションのサンプルなどは劣化が分かりにくい分、十分なクオリティーである。
ノーマルVHS標準か、きれいな3倍と言った感じだ。
ところがである、いざ自分で録画してみるとサンプルムービーのような画質は得られないのだ。
どう考えてもサンプルムービーはAV Macintoshの入力画ではない。
どういう画かと言うとノーマルVideo8のLP並だった、おまけにコマ落ちも酷い。
最終的にビデオテープに出力を考えれば、はっきり言って全く使える代物ではなかった、いつも人には「コンピューター雑誌の言う画質ってのはビデオをやってる人から見れば全くレベルの違う酷さだから、あてにしちゃあいけないな!」等とブチカマシてるくせに、
全くその通りなのであった。
通りなのであった。
通りなのであった・・・。その後Macintoshのラインナップが一新され、拡張スロットがNu-BusからPCIバスに変わってしまった。
今後Nu-Busのボードは生産されないらしい。
ノンリニアを目指すならばパソコン自体を買い換える必要が出てきた。
半年ほど立ち奥さんが育児休暇から会社に復帰した。
奥さんはMacintoshで商品デザインをしているので会社復帰を機に自宅でも自分用のが欲しいともらした。
しめた!気の変わらない内にPowerMacintosh 7600/120を買いに行く、9500が欲しかったが高すぎた。(もっとも超高速で進化を続けるコンピュータにおいて最高機種を買うというのは明らかに元の取れない出費だと思うが?。)
そして怒涛のごとく伸張圧縮ボード、ミロビデオDC−20を購入する(前回失敗したボードと殆ど値段は変わらない、いや、プレミアがバンドルされているから半額程度かもしれない)、貯金はすっかり底をついていたのでハードディスクは2Gとなった、編集してせいぜい5分が限界の容量である。
DC−20については前回の失敗を踏まえツクモ5号店森田氏の話をよく聞くことにする。
画質もチェックする、悪くはない、少なくとも全く使えない訳ではない、S−VHSクオリティだと初めから唱った商品故、それなりの品質は保証されている。
問題はFIRST SCSIを推奨しているため本体よりハードディスク+FIRST SCSIボードの方が高価になってしまうことだ。
メモリー、ハードディスク等はどんどん安くなる傾向にあるが、高速のハードディスクについてはまだ影響が及んでいなかった。
やはり最低でも4Gは欲しい。
ともあれ、小規模ではあるがデジタルでの編集、加工が可能となった。
ここに来てやっと任意のコマ同士を繋ぐ事が出来るようになった。
思えば長い道のりである。デジタル編集第一号は友人から依頼されたプロジェクトのプロモーションビデオだった、デジタルならでは効果を入れまくった、同じ効果をアナログの業務用機で加工したならば百万単位の機材が必要となる(?)だろう(ただし画質は遠く及ばないが)費用対効果は抜群だ。
ただし(必ずただし〜と続くが)オーバーラップ、ワイプ等でエフェクトがリアルタイムで確認出来ないためレンダリング、確認の作業が思いの外かかる、実際の所メチャメチャかかると言っても良い。レンダリング中コンピュータが塞がってしまうのも問題だがいずれ機械のパフォーマンスが上がり解決されるだろう、こればっかりはどうしようもない。
特殊効果を使わないカット編集であれば問題ないスピードで扱える。
また、大きなメリットとして音の扱いが飛躍的にアップした、自主制作映画の場合どうしても弱いのが音である、自主制作映画は殆ど例外無く音が悪い、アラマント社ではベータのデッキ2台を用いノーマルトラックにアフレコを重ねながら音を編集していた、アフレコの台詞、環境音、BGMそれぞれの素材テープを作りカウンターで同期を取って重ねて行く、今までの機材ではこれが一番有効な方法だったが、トラックを重ねる毎に音質もどんどん劣化してしまう、銃声など1フレームでもずれるとおかしいためど根性で同期させるがまず合わない、ただ奇跡が起こるのを待つばかりだった。
ところがデジタルになってしまうとトラックは幾らでも増やせる、音が波形で見えるためグラフィックのようにコピー&ペーストで自在に操れる上、どの段階でも修正が可能だ。
アドビ プレミアの威力!
これは快適である。試しに「超人現る」の戦闘シーンをプレミアで加工してみる、爆発を素材集から選び「明度」で合成する、マズルフラッシュ(銃口の火)、照り返しをペインターで書き込む、音素材から銃声をコピーし、発砲にあわせピッタリと張り込む。
再生してその効果に驚く、「つまらない映画も面白くできる!!!」やはり画質的には気になるが(加工/圧縮を繰りかえすうちにVHS並に...)効果は、そう効果は絶大である!?。
そして1996年12月DVCAMフォーマットデジタルデッキSONY DSR-30に続きドッカブルデッキDSR-1が発売となる。そして実売6万円台という安価なDVフォーマットの圧縮ボードの登場など、世界はまさに変革の時を迎えていたのだ。
と言ったところで.....
<つづく>
次号予告 未来は我が手に!驚異のデジタル編集