サソリーニ映画の世界


学からプロレスまで、その幅広いサソの活動ジャンルの中には映画もある。

サソが映画にかかわったのは1961年から75年までだが、この間 恐るべき本数の映画を世に送り出した。

時には週1本のペースで作品をされたこれらサソの映画は「人類史上最大にして最後の天才芸術家」を自ら豪語するサソが作るだけあり、映画芸術を根本から問いただす不敵な作品が多かった。

処女作「アンパンヤ」の頃のサソ。
ズーク・ファッションに身を包んだビルドアップ以前の貧弱な体は文学青年の臭いプンプン。

当時すでに額の浸食が著しかった事が分かる。

津映画に傾倒しヌーベルバーグの先例を受けたサソは終始その高い芸術性を維持させ続けた。1967年映画製作会社「MVNチネマグラトピカ・サソリーニ」を設立。

資本金1000万ながら75年の倒産まで実に276本の映画を乱発、映画芸術の危機的状況をえぐり出す。

60年代から70年代にかけてサソは驚くべき数の映画を世に送り出した。

大作「爆沈野郎」の演技始動を行うサソ。(1961)


セットの零戦のようなものと共に。
サソは粗悪な戦争映画を数多くプロデュースした。

ここではその一部を紹介しよう。(サソ・フィルモグラフィーへ)